ノウハウを知っても、ほとんどの人は実践できません。
理由はいろいろありますが、大きなものの一つが、度胸です。
商売には、成功の保証がありません。しかも、うまくいくまで何度も失敗すると最初から分かっている。経費のかからないビジネスを選んだとしても、時間と労力を無駄にするリスクは消えません。それでも挑戦する度胸が、会社員とは違う世界では求められます。
「私にはそんな度胸はない」と思った方に、この記事を書いています。
先に結論を言うと、度胸とは「怖くないこと」ではありません。怖いまま、行動することです。そして、そのための心の整え方は、2000年前の哲学者から、鎌倉時代の僧、昭和の経営者まで、形を変えて何度も語り継がれてきました。
他力本願の意味(まず結論から)
「他力本願」は、現代では「人任せ」「他人頼み」という意味で使われがちですが、これは誤用です。
本来は親鸞の浄土真宗の教えから来た言葉で、「他力」とは他人の力ではなく、阿弥陀仏の本願の力(はたらき)のこと。自分の修行の力(自力)で救われようとするのではなく、阿弥陀仏の願いの力によって救われる、という教えです。
つまり他力本願の本来の姿は、怠けて人に頼ることではなく、「自分ではどうにもならないものを、仏様に預ける」という心のあり方なのです。
そしてこの考え方、実は挑戦が怖い人の心を軽くする知恵として、現代でもそのまま使えます。この記事では、その話をしていきます。
頭の整え方:結果はコントロールできない
スポーツ心理学に、こういう考え方があります。
「結果はコントロールできない。コントロールできないものをコントロールしようとすると、不安になる。だから、コントロールできることに集中しよう」
試合に勝てるかどうかは、相手や運にも左右されるのでコントロールできない。でも、今日の練習メニューをこなすこと、体が固くなっていたらストレッチや深呼吸をすること、「今できることは何か」を考えて実行することは、コントロールできる。
実はこの考え方、2000年前からあります。エピクテトスという、ローマ帝国で奴隷として生まれた哲学者が、こう教えていました。「自分次第であるものと、自分次第でないものを区別せよ。自分次第でないものに心を乱されるな」。人生のほとんどが自分の思い通りにならない奴隷という身分だったからこそ、磨き上げられた知恵です。
ブログに当てはめると、検索順位や収益は、コントロールできません。でも、今日1記事書くこと、データを見て改善することは、コントロールできます。不安になったら、「今できることは何かな」に頭を切り替える。それだけで、ずいぶん楽になります。
心の整え方:怖さを、消さなくていい
「悲しい気持ちを抱えたままでも、怒っている気持ちを抱えたままでも、前に進める」
これは、私の檀家寺の住職の言葉です。
私はこの言葉を、自分なりにこう発展させて考えてきました。心細くて怖い気持ちや、寂しい気持ちと一緒に、勇気も抱えて、前に進んでいける。怖さを消してから進むのではなく、怖さと勇気を両方持ったまま進む。
世の中の起業家像って、勇ましいですよね。「何も怖くない」「不満なんてない」「商売ができて幸せだ」。でも、そんなことを言えるようになる必要は無いんじゃないでしょうか。事情があって、経費のかからないストック型のネットビジネスをすることになった。方法があるならやる。そこは前向きに考える。でも、怖くないなんて、言わなくてもいい。怖くても、行動はする。度胸って、それで十分なんじゃないかと、私はこのブログを始めた頃、自分に言い聞かせていました。
仏教やマインドフルネスには、「ネガティブな感情を否定しようとすると、かえって膨らんでいく」という考え方があります。恐怖と戦うと、恐怖が主役になってしまう。恐怖に居場所を与えて連れて歩くと、恐怖はただの同乗者になる。
ちなみにこれ、私は仏教とマインドフルネスの知識から自分独自の考えだと思っていたのですが、調べてみたら現代の心理療法とほとんど同じでした。ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)と言うらしいです。感情が整うのを待たずに、感情を抱えたまま、自分の大切にしたい方向へ行動する。順序が逆なんです。「気分が良くなったら動く」ではなく、「動く。気分は連れていく」。
他力本願を、挑戦する人の心構えとして読み直す
冒頭で見た通り、他力本願の本来の意味は「人任せ」ではありません。
私なりの解釈で言うと、「心配事は阿弥陀様に預けて、自分は自分にできることをやろう」という考え方です。結果や運命のような、自分の力ではどうにもならないものを、仏様に預けてしまう。預けた分だけ心が軽くなって、目の前の自分の行いに集中できる。
考えてみてください。自力でなんでもコントロールできるというのなら、努力すれば誰でも世界征服できるのでしょうか。無理ですよね。「すべては自分次第」という考え方は、一見前向きに見えて、実は結果まで全部背負い込む、しんどい考え方なのです。
奴隷だった哲学者と、鎌倉時代の僧が、別々の場所で同じ答えに辿り着いている。これは偶然ではなく、思い通りにならない人生を生き抜くための、人類が何度も再発見してきた知恵なのだと思います。
足の動かし方:松下幸之助の「5%」
最後に、行動の話です。
パナソニックを作った松下幸之助は、「運命の95%は決まっている。努力で変えられるのは5%くらい」という考え方をしていました。だからジタバタしてもしょうがない。——ここまでなら、諦めの話に聞こえますよね。
でも松下幸之助はこう続けます。残りの5%には、努力がものすごく効くのだと。
そして彼は、「ここまで頑張ったけどダメだった。そうか、ダメか」で終わらせませんでした。そこからもう一歩、熱意で頑張る。その「もう一歩」から、工夫が生まれてくる。ここが、保証された世界で働く会社員と、保証のない世界で働く商売人との、一番の違いだと私は思っています。
95%を天に預けるのは、他力本願。残りの5%に熱意を注ぎ込むのは、自力の努力。預けることと、粘ることは、矛盾しません。むしろセットです。
松下幸之助が病弱で会社員ができなくてパナソニックを作った人生を記事にしました。
私がブログを始めたときの話
偉そうに書いてきましたが、私はブログを始めたとき、怖かったです。
時間を無駄にするかもしれない。誰にも読まれないかもしれない。何ヶ月書いても、収益はゼロかもしれない。実際、収益ゼロの期間は今も続いています。
でも、「怖くても行動はする。度胸ってそれで十分」と自分に言い聞かせて、書き続けてきました。順位や収益はコントロールできないから、天に預ける。今日書くこと、データを見て改善することはコントロールできるから、そこに集中する。
そうして2ヶ月半経った今、検索順位が動き始めて、幻だった目標が少しずつ現実的になってきています。怖さは、消えていません。でも、怖さを抱えたままでも、ここまで進んで来られました。
まとめ:怖くても行動はする。それで十分
奴隷の哲学者エピクテトスも、流罪になった親鸞も、病弱だった松下幸之助も、同じことを言っています。
コントロールできないものは、預けてしまう。コントロールできることに、熱意を注ぐ。そして、怖さや悲しみは、消さずに連れて歩く。
勇ましいマッチョな起業家になる必要はありません。怖いまま、今日できる小さなことをやる。それを続けた人が、保証のない世界で生き残っていくのだと思います。
怖くても、行動はする。度胸って、それで十分です。
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