マーケティングを「浅ましい」と思う人は、なぜお金に困るのか — お金のマインドブロックと論語の話

働く

自営業やフリーランス、社長になると、必ずマーケティング戦略を考えます。消費者を仮にカテゴリー分けして、このターゲットにしようと絞って、その人たちの需要に合うように商品を作り、その人たちに届くように流通させる。文章にすると当たり前のことです。

でも、この「当たり前」にイラっとする人が、実はたくさんいます。

「今の若い世代にはこういう傾向があります」と雑に語られると、例外もあるでしょ、と思う。「女はこう」「男はこう」と言われると窮屈に感じる。恋愛でも「こういうタイプの女はこう攻略する」「こういうタイプの男はこう落とせ」みたいな記事を見て、失礼だと感じる人がいます。

つまり、とりあえず仮にカテゴリー分けして、仮説を立ててみる——ビジネスのスタート地点そのものに、反感を持つ人がいるのです。そういう発想を「品がない」と思う層がいて、こういう裏側は口に出さないのがマナーだと思っています。

でも、それだとひとつ困ったことが起きます。いい就職ができなかった人は、永遠に這い上がれないことになってしまうのです。学歴がなくても、いい会社に入れなくても、這い上がれるのが自営業やフリーランスや社長の道だからです。

美容室の話

例え話をします。美容室を経営している人が、歳をとって体力が減ってきました。安い客単価だと、たくさんの人数を捌くことになり、体がもたない。そこで考えます。客単価を上げよう。お金に余裕がある人向けの店にしよう。

髪質改善トリートメントに力を入れて、技術を磨き、専門店にするために宣言しました。「カットだけのお客様はお断りします。髪質改善トリートメントとセットでご注文いただくお店です」と。

技術もあったので軌道に乗り、売り上げも上がり、体も楽になりました。商売をしている人からすれば、当たり前の企業努力です。工夫して偉いね、と褒めるところです。

ところが、商売を知らない同級生——美容師より勉強ができた人が、こう言いました。

「お前は馬鹿だから教えてやるが、そんなことはしてはいけないよ。貧しい人にも親切にするのが大事なんだ」

公共サービス、教育、医療、福祉なら、貧しい人にも手を差し伸べるべきです。でも普通のビジネスは、自分の客層を大事にして、自分のターゲット層が喜んでくれたら十分です。全人類を救う義理は、普通の美容師にはありません。カットだけしたい人は、他の店に行けばいいだけで、誰も損をしていないのです。

自営業やフリーランスや社長になった人は、倒産しないための真っ当な経営判断を、こういうトンチンカンな説教で否定されます。ピュアな気持ちで努力している工夫が、商売をしない人からは清らかでない汚い思考に見えてしまう。だから独立した人は大体孤独になり、結局、商売している人同士で話すことが増えるのです。

商売をすると、客としての想像力が働く

感覚の違いは、客の立場になっても現れます。

高級店に「高すぎる」とクレームを入れる人がいます。商売をしている人なら、それは客層が違うだけだと分かるので、不満を抱かずに別の店に行きます。この内装、この包装、このスタッフの数、これくらい経費がかかっているから、こういう客層向けの店で、この価格。瞬時に計算できるので「だとしたら適切だな」となる。安いホテルにアメニティが充実していないと怒っても仕方ないのです。アメニティが充実しているホテルは、高くて当たり前だからです。

ゼロから商売をやってきたお金持ちの社長が、普通の店の店員にも優しいことがあります。あれは人格というより想像力です。コンビニのバイトの給料で高級店の接客を求めても仕方ないと、肌で分かっている。逆に、自分で商売をしたことがない人ほど、すべての店員に高級店のような接客を要求したりします。解像度が低いのです。

損得勘定を「恥」と思うかどうか

学歴がないのにお金に困らない人と、学歴があるのにお金に困る人。この違いは何でしょうか。

学歴がないのにお金に困らない人は、損得の計算を汚いことだと恥じていません。そういう話題を堂々と話せる人と話していくうちに、思考が磨かれていきます。学歴があってもお金に困る人は、そういう話を清らかでないと感じ、隠すべきものだと感じ、話題に出さない。だからその思考回路が、議論によって磨かれることが一生ないのです。

自営業の成金社長が、キャバ嬢と結婚することがあります。あれは教養の違いというより、損得の計算について安心して話せる相手だからだと思います。普通は品のないこととされる話題を、堂々と交わせる。キャバ嬢がエリートサラリーマンと結婚することが少ないのは、この「損得勘定を正しいことだと思うかどうか」の言語が合わないからではないでしょうか。キャバ嬢でも自営業でも、賢い人は賢いのですから。

恋愛も同じです。自分はどういう層にウケるか、どういう層と相性がいいか、だからどこに行けば出会えるか。このマーケティング判断を自力でできない人は、結婚相談所でプロに戦略を練ってもらうしかありません。マッチングアプリが難しいのは、体目的や既婚者が混じっているからだけではないのです。検索はできても、「どういう層を検索すれば自分は幸せになれるか」の判断を自力でやるのが難しい。

その計算の結果、アプリをやめて英会話を習った方がいい人もいれば、ジムに通った方がいい人も、行きつけの居酒屋を作った方がいい人もいるでしょう。おしゃれすぎる街で合コンすると自分が背景に合わないから、親しみのある街を選ぶ、という計算もあります。そういう計算を恥ずかしがっていると、自力で出会えない。いちいち占い師や恋愛カウンセラーに頼っていると、お金もかかります。

モテるための計算にブロックがあると、自分で判断して恋愛できない。儲けるための計算にブロックがあると、自分で判断して商売できない。構造はまったく同じなのです。

このブロックの源流は、論語かもしれない

では、なぜ私たちは損得勘定を「浅ましい」と感じるように育つのでしょうか。

時代劇を思い出してください。貧しい学者や武士が、裕福な商人を浅ましいと軽蔑している場面がよくあります。今の時代で言えば、自分で商売している人のマーケティングを、商売していない人が軽蔑するのと同じ構図です。

その源流のひとつは、論語だと思います。論語はもともと、出世や金に目がくらんで貧しい人を踏みつけにしない官僚を育てるための教科書でした。統治する側の人間に「利より義を優先せよ」と教える本です。それが士農工商の身分制度と結びつき、「武士は食わねど高楊枝」の美学になり、商人を一段低く見る文化として定着しました。昔の商売人でも、裕福な家の子は論語を習っていたはずです。稼ぐ家の子どもが「稼ぎを語るのは恥」という教科書で育つ。このねじれが、今も続いているのです。

でも論語は、儲けを否定していない

ここで面白いのは、論語の原文をよく読むと、実は「儲け=悪」とは言っていないことです。

「富と貴きとは是れ人の欲する所なり。其の道を以てせざれば、之を得とも処らざるなり」——富や地位を欲しがるのは人として当たり前だ。ただし正しくない方法で得たものなら、そこに安住してはいけない。孔子が言ったのはこれです。否定されているのは不正な儲け方であって、儲けそのものではありません。

「富にして求むべくんば、執鞭の士と雖も、吾亦之を為さん」——まっとうに富を求められるなら、御者のような仕事でも私はやる、とすら言っています。

「利を語るのは浅ましい」という読み方は、官僚選抜の教科書として使われた歴史と、日本では朱子学と身分制度の影響で強調された、いわば後付けの解釈なのです。

そして、まさにこのねじれを解こうとした人がいます。渋沢栄一です。約500の会社を作った実業家が、晩年に書いたのが「論語と算盤」でした。道徳と経済は両立する、むしろ両立させなければならない。論語を「商売の敵」ではなく「商売の背骨」として読み直した本です。江戸時代にも、石田梅岩が「商人の利は武士の禄と同じだ」と説きました。近江商人の「三方よし」も、この系譜です。

つまり、損得勘定を堂々と語ることと、教養を持つことは、昔から対立していなかったのです。

教養と損得勘定は、敵ではなく補完物

誤解しないでほしいのは、教養が無意味だと言いたいわけではないことです。むしろ逆です。

教養は、うまくいかない時の心の持ちようを与えてくれます。生産能力の低い人間にも意義を見出す力があります。教養があれば弱者に優しくできるし、自分がピンチの時に自分を責めなくなります。実用的な計算しかできない人は、相手の金がなくなったら離れていくかもしれません。転落した時に、自分自身からも離れてしまうかもしれません。

損得勘定は「うまくいかせる方法」を与え、教養は「うまくいかない時の支え」を与える。両方ある人が一番強い。計算だけの人は転落時に脆く、教養だけの人は稼げないのです。

ブロックがある人には、ブロックが武器になる場所がある

ここまで読んで、マインドブロックは外すべきもの、と聞こえたかもしれません。でも、外さないという生き方もあります。

マーケティングに拒否反応が出るというのは、裏を返せば、利より義を優先する回路が強いということです。損得で動かない、ズルができない、駆け引きが生理的に無理。この気質は、商売の世界では足かせになりますが、そのまま適性になる世界があります。

公共サービス、医療、福祉、教育。つまり「貧しい人にも親切にするべき」側の仕事です。ここでは客を選ばないことが正義であり、損得勘定はむしろ邪魔になります。そして組織の中にも、総務、経理、人事といったバックオフィスの仕事があります。ここで評価されるのは、攻めの計算ではなく、公平さ、正確さ、ルールを曲げない誠実さです。お金を扱う経理ほど、損得で動かない人格が信用されるのです。

全員が損得勘定を磨いて独立を目指す必要はありません。大事なのは、自分の気質がどちらの世界で価値になるかを見極めることです。損得勘定が得意なのに組織に残り続けると年齢とともに身動きが取れなくなるように、損得勘定が苦手なのに商売の世界に立つと消耗します。マーケティングが無理なのは欠陥ではなく、配置の問題かもしれないのです。

マインドブロックの外し方

経営判断する側からすれば、合理的に判断しないと店が潰れます。それを「汚い裏側」「悲しい現実」と捉えるのが、お金のマインドブロックです。

外し方はシンプルで、同じ話を「興味深いことだ」と面白がることです。そういう話題を出す人を軽蔑するのではなく尊敬して、議論に参加する。そうしているうちに、商売ができるようになっていきます。学歴がないのにお金に困らない人は、みんなこのルートを通っています。ただ、芸能人やスポーツ選手は彼らの雇い主がその計算をするので、学歴のないお金持ちとしては例外かもしれません。

確かに、ブランディングとしては裏側を隠しておいた方がいい場面もあります。成功者は損得を考えた上で、考えていないように振る舞っているだけです。一方、マインドブロックのある人は、考えること自体を止めてしまっている。表面上は同じ「上品な人」に見えても、中身はまったく違う。この差は外から見えないので、「なぜあの人が成功するのか分からない」という現象が起きるのです。

マーケティングを不純だと思うかどうか。それが、学歴がないのに金持ちになれるかどうか、美人やイケメンでなくても結婚できるかどうかの、分かれ目なのだと思います。真面目なのにお金持ちになれない、真面目なのに結婚できない——もしそうなら、疑うべきは努力の量ではなく、計算を恥じる心の方かもしれません。

孔子だって言っているのです。正しい方法でなら、富を求めて御者にでもなる、と。

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