疲れやすいからこそ、エネルギーをどう使うかを真剣に考えてきました。
体力のある人には当たり前にできることが、私にはできません。同じ時間、同じ仕事をしても、消耗の仕方が違います。だから「どう頑張るか」より、「どう消耗しないか」を考える方が、ずっと大切だと気づきました。
その答えのヒントが、意外にも古典の中にありました。孫子の兵法、世阿弥の風姿花伝、マルクスの資本論。一見難しそうなこれらの本に、疲れやすい人間がサバイブするための知恵が、ぎっしり詰まっていました。
孫子の兵法は現代日本語訳と解説書を読み、風姿花伝は室町時代の古文を読み、資本論は解説書を読みました。そこから得た気づきをベースに、自分の日常と仕事に落とし込んだ戦略を3つ紹介します。
①孫子の兵法——戦わずして消耗しない
疲れやすい人こそ「戦略」が必要な理由
「頑張ること」が美徳とされる社会で、疲れやすい人間はずっと不利なゲームを強いられてきました。
体力がある人は、多少非効率な方法でも、量でカバーできます。長時間働いて、睡眠を削って、それでも翌日また戦えます。でも疲れやすい私には、そのやり方は通用しない。同じことをやれば、こちらが先に倒れます。
つまり疲れやすい人間は、「量で戦う」のではなく「戦い方を変える」しかありません。
そこで出会ったのが孫子の兵法だ。紀元前500年ごろに書かれたとされるこの兵法書は、「いかに戦うか」ではなく「いかに戦わずして勝つか」を説いた本です。2500年前の戦争の書が、現代の疲れやすい私に刺さったのは、そこに普遍的な「消耗しない知恵」が凝縮されていたからです。
孫子から学んだ「消耗しない動き方」
孫子の有名な言葉に「彼を知り己を知れば、百戦殆からず」があります。敵を知り、自分を知れば、百回戦っても負けない——という意味ですが、私はこれを「消耗しないための自己分析」として読みました。
私が解説書を通じて特に刺さったのは、次の考え方です。
「戦わずして勝つのが最上策」
孫子は、戦うこと自体を消耗と見なしました。たとえ勝っても、戦えば資源(体力・時間・お金)は減る。だから最善は、そもそも戦いが起きない状況を作ることだというのです。
疲れやすい私に置き換えると、こうなります。
- 消耗する人間関係には最初から入らない
- 向いていない仕事は、最初に断る(途中でやめるより消耗が少ない)
- 比較や競争の土俵に乗らない
要するに「戦場に出ない」のが、最も体力を使わない戦略なのです。
もうひとつ印象的だったのが、「形(かたち)なきに処れば、深間も能く窺えず」という考え方です。自分の弱点を相手に見せない、予測不可能であることが強みになる——という意味だが、これを「自分のペースを外に晒さない」と解釈しました。
職場で「この人は頼めばやってくれる」と思われると、どんどん仕事が来ます。疲れやすい人ほど、消耗するペースで他者のペースに合わせてしまいます。孫子が言うように、自分のリズムを外に見せず、戦略的に動くことが大切だと気づきました。
ここで心理学的なアドバイスも。忙しい時は「今はどうしても忙しいから手伝えないけど、忙しくない時は絶対に手伝うから、また何かあったら言ってね」と言って、時間のある時は本当に手伝う。そういう人間は馬鹿にされないんです。毎回断れない人が馬鹿にされるんです。毎回手伝わない人は嫌われます。
「これが苦手でこれが得意」と言えば得意なことだけ頼まれやすくなりますが、全部できるというとあれこれ頼まれて疲れます。全部できないというと馬鹿にされます。
日常・仕事への活かし方
孫子の考え方を日常に落とし込むと、具体的にはこんな使い方ができます。
① 消耗する場面を事前に「地図」にする
自分がどの場面で特に疲れるかをリスト化してみます。満員電車、長時間の会議、雑談が多い環境、急な予定変更……。それぞれの「消耗ポイント」を把握することが、戦略の出発点です。孫子が「地形を知れ」と言ったように、自分のエネルギー地形を知ることが先決です。
② 勝てる戦場だけを選ぶ
自分の強みが活きる仕事や環境に絞ること。疲れやすい人が体力勝負の職場で戦うのは、剣士が海で戦うようなものです。泳ぎが得意な人が有利な場所で戦うより、自分が得意な陸で戦う方がいいのです。
③ 「撤退」を恥じない
孫子は「退くことも戦略のうち」と説く。消耗しきって倒れるより、早めに撤退して体力を温存する方が長期的には強い。疲れを感じたら「逃げ」ではなく「戦略的撤退」と考えると、罪悪感が減りました。
② 風姿花伝——自分の「花」を知って長く続ける
世阿弥が伝えたかったこと
風姿花伝は、室町時代の能楽師・世阿弥が書いた芸術論・人生論の書だ。能の稽古法から始まり、演者としての在り方、芸の磨き方まで、広く説かれています。
世阿弥の言葉でもっとも有名なのは「秘すれば花」でしょう。すべてを見せないことが、かえって美しさを生む——という意味ですが、私がこの本から受け取ったテーマは、もっと根本的なところにありました。
それは、「自分の花(強み)を知り、年齢とともに変化しながら、長く続けることが本物の道だ」という考え方です。
疲れやすい私が最初に気になったのは、「花」という概念でした。世阿弥は「花とは何か」を問い続けました。一時的に目立つことより、長く咲き続けることの方が価値があると説きました。これは、疲れやすい人間にとって、大きな救いになる言葉です。
疲れやすい私が刺さった言葉
風姿花伝の中で、特に胸に刺さった部分があります。
それは、年齢ごとに「花の在り方が変わる」という記述です。若い頃の花(みずみずしさ)は、年を重ねれば必ず失われる。だから、若さに頼った芸を続ける者は、やがて花を失う。しかし、本当の芸を磨いた者には、老いても失われない「まことの花」が宿る——という教えです。
これを疲れやすい自分に重ねると、こういうことだと思いました。
若いうちに無理をして体力で勝負するやり方は、必ずどこかで行き詰まる。今の自分にしかない「花」を見つけて磨く方が、長く続けられる。
私の場合、疲れやすいことは弱点のように見えて、「エネルギーを大切にする視点」を磨いてきました。疲れやすいからこそ、何に体力を使うべきかを真剣に考えました。その思考の積み重ねが、今のブログのテーマになっています。
弱点そのものが、自分の「花」になりうる——そう気づいたのは、風姿花伝のおかげでした。
無理せず続けるための自己理解
世阿弥が繰り返し強調したのは、「自分を知ること」です。自分がどういう演者で、どの年代に何の花を持てるのかを知らなければ、芸は育ちません。
これを仕事と副業に落とし込むと、こうなります。
① 自分の「今の花」を棚卸しする
今の自分が得意なこと、無理なくできること、他の人より少しうまくできることを書き出してみます。「これくらい誰でもできる」と思っていることが、実は自分の花だったりします。
私の場合は「長い文章を書くこと」「複雑なことをわかりやすく整理すること」「失敗談を素直に書けること」あたりが、今の花だと思っています。どれも特別なスキルには見えないけれど、ブログを続ける上では実はかなり強みになっています。
② 「無理な花」を咲かせようとしていないか確認する
たとえば、SNSでバズることを目標にして体力を使い果たす、というのは「自分の花ではない花を咲かせようとしている」状態かもしれません。世阿弥なら「それはお前の花ではない」と言うでしょう。
疲れやすい人が無理に「元気な人のやり方」を真似しても、長続きしません。自分の花を知って、そこに集中することが、長く続けるための一番の戦略です。
③ 「老いの花」を先取りする発想
世阿弥は、老いの花こそ最も美しいと説きました。これは、今は未熟でも、積み重ねた先に本物の強みが生まれるという希望でもあります。
今の自分に焦らず、10年後の「まことの花」に向けて、今日できる小さなことを積み重ねていく。疲れやすいからこそ、短距離走ではなく長距離走の視点が大切です。
(現代日本語訳も載っているし、意外と短いです。他の2冊と比べて、解説書じゃなくても理解できると思います)
③ 資本論——労働とエネルギーの搾取を知る
資本論をなぜ疲れやすい人が読むべきか
「資本論を読め」と言われたら、多くの人は構えるでしょう。マルクスが書いた19世紀の経済学書で、難解で分厚い。疲れやすい私が原典を読んだわけではなく、解説書(池上彰さんの解説など)を通じて概要を掴んだのですが、それでも十分すぎるほど刺さるものがありました。
なぜ疲れやすい人が資本論を読むべきか?それは、「なぜ私はこんなに消耗するのに、報われないのか」という疑問に、構造的な答えをくれるからです。
資本論の核心のひとつは「剰余価値」という概念です。労働者が生み出す価値のうち、労働者が賃金として受け取る分以上の価値が、資本家(雇用者)に吸い取られる——これが搾取の仕組みだ、とマルクスは論じました。
これは難しい経済理論ではなく、疲れやすい人間の実感に直結する話です。
「なぜ一生懸命働いても、生活が楽にならないのか」 「なぜ体を壊すほど働いても、評価されないのか」 「なぜ副業をしなければ生活できないのか」
これらの問いへの答えのひとつが、資本論の中にあります。
解説書から学んだ「搾取されない働き方」
資本論から、疲れやすい私が受け取ったメッセージは3つあります。
① 自分の労働力の価値を正確に知る
マルクスは、労働力には「価値」があると論じました。自分のスキルや時間には値段があり、それを安売りすれば搾取されます。
疲れやすい人は、「体力がないから」「迷惑をかけているから」という罪悪感から、自分の価値を低く見積もりがちです。でも、疲れやすい人が持つ「丁寧さ」「慎重さ」「共感力」「文章力」は、れっきとした価値です。自分の強みに適正な値付けをすることが、搾取から身を守る第一歩です。
② 「時間」と「エネルギー」を資本として考える
資本論的に言えば、私たちが持っている最大の資本は「時間」と「エネルギー」です。それをどこに投下するかが、人生の収益構造を決めます。
体力が有限な人ほど、この発想は重要になります。消耗する仕事にエネルギーを全投入すれば、他のことに回す余力がなくなります。ブログを書く時間も、資格の勉強をする時間も、結婚に向けて動く時間も、すべてエネルギーが必要です。だからこそ、エネルギーの投資先を意識的に選ぶ必要があります。
③ 「賃労働以外の収益源」を作ることの意味
資本論が分析したのは「賃労働者」としての搾取です。逆に言えば、賃労働だけに依存しない収益源を作ることが、搾取から脱する方向性のひとつになります。
アフィリエイトブログや、ハンドメイド販売、資格を活かしたフリーランス仕事——これらは、自分の時間とエネルギーを、より自分の裁量で使える形に変える試みです。マルクスは「脱出口」を書かなかったのですが、現代の私たちは、少しずつその選択肢を持てる時代にいます。
自分のエネルギーを守るという発想
資本論が教えてくれた最大のことは、「搾取は構造の問題だ」という視点です。
疲れやすい私が消耗するのは、意志が弱いからでも、努力が足りないからでもない。消耗しやすい構造の中に置かれているからです。その構造を変えなければ、いくら個人で頑張っても限界があります。
では構造を変えるために何ができるのでしょうか?すぐには変えられないことも多いです。でも、小さなことからできることがあります。
- 残業前提の職場から、定時退社が文化の職場に移る
- 自分のペースで動けるフリーランスや副業を育てる
- 消耗する人間関係を意識的に減らす
- 自分の価値を低く見せる癖をやめる
これは「逃げ」ではありません。自分のエネルギーを守るための、れっきとした戦略です。
こちらの記事も参考になるかもしれません
まとめ
孫子の兵法、風姿花伝、資本論。いずれも疲れやすい人向けに書かれた本ではありません。でも、その中に、疲れやすい人間がサバイブするための知恵が詰まっていました。
- 孫子は「戦わないことが最善の戦略」だと教えてくれた
- 世阿弥は「自分の花を知り、長く続けることに価値がある」と教えてくれた
- マルクスは「消耗の構造を知り、自分のエネルギーを守る発想を持て」と教えてくれた
古典は、時代を超えて人間の本質を突いています。難しい言葉の向こうに、今の私たちの生き方に使える知恵があります。
疲れやすいことは、弱点ではなく、真剣にエネルギーの使い方を考えてきた人間の証です。その積み重ねが、必ず「まことの花」になると、私は信じています。
「疲れやすくても、自分らしく生きていく」をテーマに書いています。他の記事もぜひ読んでみてください。
疲れやすい人の戦略の記事のおすすめです。
こちらはフリーランスや副業の戦略の参考になる記事です。





コメント