「頑張ればできる」と怒る上司は間違っている——全力を尽くした自分を誇っていい

働く

上司に「やればできる」「もっと頑張れ」と言われるたびに、胸のどこかがぎゅっとなる。

真面目にやっているつもりなのに。手を抜いているわけじゃないのに。それでも「努力が足りない」と言われると、だんだん自分がおかしいのかと思えてくる。

でも、聞いてほしいのです。

「やればできる」と怒る上司は、間違っています。

これは言い訳でも開き直りでもありません。才能と努力の本質を、現実として正面から見たときに出てくる、まっとうな結論なのです。

本気で頑張った人だけが知っていること

スポーツ、音楽、美術。これらの世界を本気で歩んだことがある人は、ある境界線をはっきりと知っています。

「死ぬ気でやっても、ここまでしか行けない」という感覚です。

朝4時に起きて練習して、食事も睡眠も全部そこに捧げて、それでも才能ある人間には追いつけなかった、という経験。それは挫折ではなく、「自分の限界と正面から向き合った証拠」です。

たとえば音楽の世界では、幼少期から猛練習を積んでもプロになれない人がいる一方で、数年練習しただけで頭角を現す人がいます。スポーツも同じです。同じトレーニングをしても、筋肉のつき方、反応速度、身体の回復力には、生まれつきの差があります。

こういった経験をした人は、他人に「やればできる」とは言えません。なぜなら、本気でやった先に「できない壁」があることを、体で知っているからです。

逆にいえば、「やればできる」と気軽に言える人は、本気で限界まで頑張ったことがない人かもしれない、ということでもあります。

中途半端な努力では、才能の限界に気づけない

ここで一つ、大切なことを言っておきます。

才能の限界に気づくためには、本気で限界まで努力する必要がある、ということです。

中途半端にやっていると、「もっと頑張れば伸びるかも」という可能性がずっと残ります。それはある意味では残酷で、「あとちょっとだけ頑張れば」という希望が、消耗を招くこともあります。

だからこそ、本気でバットを振ることが大事なのです。全力でやってみて、それでも届かなかったなら、それは「怠けた結果」ではなく「本物の限界」です。

あなたが今、全力でやっているなら。毎日疲れ果てながらも、できる限りのことをしているなら。それは十分すぎるほど、「バットを振っている」状態です。

能力は、努力だけでは決まらない

少し学術的な話をします。

IQ(知能指数)の遺伝率は、研究によって50〜80%程度とされています。つまり、知的能力の半分以上は、生まれながらの素因に左右されるということです。これは「努力は無意味」という話ではありません。努力で伸びる部分は確かにある。でも、努力だけでは超えられない天井が存在する、という現実でもあります。

これは知能だけではありません。体力、集中力の持続時間、ストレス耐性、感情の回復力。こういった「仕事に必要な能力」の多くに、生まれつきの個人差があります。

疲れやすい体質の人が、疲れにくい体質の人と同じペースで働けないのは、「努力が足りない」からではありません。そもそも違う体を持っているからです。

これを「弱さ」と呼ぶのは間違っています。身長の高い人と低い人に優劣がないように、体力のある人とない人にも、優劣はありません。ただ、「得意なこと、不得意なこと」が違うだけです。

上司の側に問題があることも多い

「頑張ればできる」と怒る上司は、本当に正しいのでしょうか。

少し冷静に考えてみましょう。


仕事の振り方が下手な可能性

同じ仕事でも、振り方によって負荷はまったく変わります。「この人にはこの種類の仕事が向いている」「この量が適切な負荷だ」という判断をするのが、上司の仕事です。

あなたがオーバーロードになっているとしたら、それは仕事の振り方が下手な上司の問題である場合も多い。


人材配置がおかしい可能性

向いていない仕事に、向いていない人を配置して、「なぜできないんだ」と怒るのは、本末転倒です。

適材適所という言葉がありますが、これを実現するのは上司・経営陣の仕事です。あなたが「向いていない」と感じているなら、それはあなたの問題だけではなく、配置の問題である可能性があります。


上司に、上司の適性がない可能性

これは少し厳しい言い方かもしれませんが、事実として、「上司に向いていない人が上司をしている」ケースは珍しくありません。

部下の能力を見極め、適切な指導をして、チームとして成果を出す。これには高いコミュニケーション能力と、人間観察力と、感情のコントロールが必要です。「成績が良かったから」という理由だけで昇進した人が、必ずしも優れたマネージャーになれるわけではありません。

「頑張ればできる」と怒るだけで、具体的に何をどう改善すればいいかを教えてくれない上司は、マネジメント能力が低い上司です。それはあなたのせいではありません。

経営陣が現実を見るべき

もう少し大きな視点で考えてみましょう。

下町育ちで、公立の学校に通っていると、世の中には優秀な人ばかりではないということがよくわかります。みんな違う能力を持って、違うペースで生きている。それが当たり前の社会の姿です。

でも、どこかの高級住宅街で育って、私立の学校にしか通ったことがない、世間知らずのお坊ちゃんが社長になったとしたら——「うちの社員はなぜこんなに優秀じゃないんだ」と本気で思うかもしれません。

優秀な人材が欲しいなら、もっと給料を上げるべきです。

それは単純な話で、優秀な人材は優秀な人材を求める会社に行きます。給与水準が低ければ、その水準に見合った人材が集まります。それは誰のせいでもなく、市場の原理です。

「その給与ではそのレベルの人材しか来なかった」ということであれば、そのレベルの人材で回せる仕組みを作るのが経営陣の仕事です。現実を見るべきなのは、怒っている上司でも、怒られているあなたでもなく、経営の仕組みを設計する側なのです。

だから、怒られたとき、こう考えていいと思います。

「もしかしたらこの上司は、世間知らずのお坊ちゃんなのかもしれない」と。

謝るべきことをしたなら、素直に謝ればいい。でも、謝ることと落ち込むことは、まったく別のことです。

弱いことは、恥ずかしくない

ここではっきり言わせてください。

弱いことは、恥ずかしくありません。

体力がないことも、集中力が続かないことも、人より覚えるのが遅いことも、それはただの「あなたの特性」です。背が低いことが恥ずかしくないように、疲れやすいことも、恥ずかしくない。

では、何が恥ずかしいのか。

打席に立つことを拒んで、バットを振らないことです。

チャンスが来たときに逃げる。やってみる前から「どうせ無理」と諦める。最初から全力を出さずに、言い訳を作っておく。それが恥ずかしいことです。

でも、あなたが今、疲れながらも毎日仕事に向かっているなら。しんどくても、できる範囲で一生懸命やっているなら。それはもう、バットを振っています。

全力でバットを振って、それでもヒットにならなかったとしても、あなたは恥ずかしくない。

むしろ、全力で振ったあなたを誇っていい。

他人に評価されたから、自分を好きになるのではない

ここが、一番大切なことかもしれません。

自己肯定感というものを、「他人に褒められること」で得ようとすると、永遠に満たされません。なぜなら、他人の評価はコントロールできないからです。

どれだけ頑張っても認めてくれない上司はいます。どれだけ成果を出しても「もっとできるはずだ」と言い続ける環境もあります。他人の評価を軸にしてしまうと、自分の価値が他人に握られてしまいます。

でも、最善を尽くしたかどうかは、自分だけが知っています。

今日、できる限りのことをやった。疲れていたけど、それでもやった。うまくいかなかったけど、全力は出した。

それを知っているのは、あなた自身だけです。

他人に評価されたから自分のことを好きになるのではない。最善を尽くしたから、自分のことを好きになる。それで十分なのです。

ジタバタしない、ウジウジしない、堂々としていればいい

全力でやって、それでもうまくいかなかった。上司に怒られた。評価されなかった。

そんなとき、どうすればいいか。

ジタバタしても仕方ありません。

やれるだけやったなら、結果は結果として受け止めるしかない。「あのときこうすれば」と悔やんでも、過去は変えられません。「もっとできたはずだ」と責めても、それは事実と違います。

ウジウジしているほうが、めんどくさいと思われます。

これは冷たく言っているのではなくて、本当のことです。失敗を引きずって自己嫌悪に沈んでいる人より、「やれることはやった、次はこうしよう」と切り替えられる人のほうが、一緒に仕事しやすい。信頼される。

失礼なことをしたなら、素直に謝る。それは大切なことです。でも、真面目に努力した結果であれば、それ以上どうしようもない。

謝ることはあっても、落ち込む必要はありません。

堂々としているしかないのです。

それは開き直りではありません。現実を正面から見た上で、自分の誠実さを信じているということです。

限界を知ったら工夫に熱意を使う

死ぬ気で戦って、自分は大谷翔平のような天才じゃないと分かったら、それでも回る仕組みを考えるのが工夫で、そのために熱意を使うのです。お客さんに喜んでもらう形でうまく手を抜けたら、それはサボりじゃなくて効率化です。それはそもそも経営側が主導して考えるのが普通だと思います。

仕方ないから、怒られても謝りこそすれ、落ち込むことはないと思います。耐えればいいといのは、何も考えてないだけ。根性が大切なのではないのです。それでも回る仕組みを考えることに熱意を使うのです。

私は昔にザ・チョイスに入選したことがあります。イラストレーターがプロフィール欄に書くような一流のコンペです。絵本を出版した時も絵は本当に褒められました。でも、お金儲けって、儲かる業界でやる、適性のあることをやる、それからビジネスの仕組みを知ることです。

単価×回転率=売上−税金=手取り金額

人手は足りるのか?スペースは足りるのか?こういう方程式を解いていくのがビジネスの仕組みです。運動なんてしなくたって、体力のある人もいっぱいいます。そういう限界までとりあえず行動するのです。

差別化されてなくても需要があれば売れるのです。一流である必要はないのです。野球を習いたい子どもが、いきなり大谷翔平に習おうとしたら、毎週習うお金なんてありません。草野球のお兄さんだったら毎週習えますよね。これが需要なのです。

95点のラーメンを96点にするのは難しいけど、素人には違いが分かりませんよね。素人に分かるのは60点と80点の違いなのです。回転率のためにスピードを上げるなら、それで十分ですよね。技術の高さとかじゃないんです。

一流のフランス料理のレストランを開いている調理師は、他に調理師を雇うにしても、一流でなくてはいけません。高い給料を払うでしょう。ファミレスなら、バイトが冷凍食品を温めるだけです。安い給料で雇えます。チェーン展開した方が、一流のフランス料理店を一軒開くより、儲かりますよね。

中小企業の社長がお金持ちな理由

天才がフリーランスになって、一人社長になっても、凡人が協力しあっている中小企業の方が、大きい金額が動いていますよね。優秀な人が集まらなくても、回る仕組みを考える。それは一人の天才に圧勝します。

中小企業の創業者はお金持ちです。大企業の雇われ社長よりも稼いでいるのです。大企業の雇われ社長は優秀な人材を使えるけど、中小企業の社長は優秀な人材が集まるほど給料を払えません。社長が人格者、ということくらいしか売りを作れないのです。優秀じゃない人にも雇用を創出したから、偉いのです。それでも回る仕組みを考えたのです。大企業は給料が高いから、優秀な人が来て当たり前。高い給料を払ってない会社は、まず安くで働いていくれている社員に感謝すべきです。

大企業の会社員は喧嘩しません。マナーを守ります。その代わり、規模が大きくなるほど、歯車感が強くなります。中小企業の社長は、社員同士が喧嘩していても、それをなだめます。普通は大人にもなって感情的なやり取りをしていると、なだめる側はイライラしますよね。誰もやりたくないことをやるから中小企業の創業者は偉いのです。フリーランスが儲かって一人社長になったところで、中小企業の社長に勝てることはありません。一人社長は度胸はあります。でも、人を雇う人は、器も大きいです。そうであるべきなのです。

死ぬ気で最善を尽くしたなら、道は開けると信じて待つしかありません。人事を尽くして天命を待つと言いますが、待っている間に焦るようでは、待っていることになりません。大船に乗ったつもりでいるのです。怒られたら謝るしかありません。でも、評価されているから自分のことを好きになるのではありません。最善を尽くしたから自分のことを好きでいる。それで十分なのです。

一人で頑張ることに疲れたなら

ここまで読んでくれたあなたは、きっと真剣に自分の人生と向き合っている人だと思います。

毎日、疲れながらも頑張っている。評価されなくても、やめずに続けている。そのこと自体が、もうすでに十分すごいことなのです。

でも、一人で抱えるのに限界を感じることもあるでしょう。

仕事のことだけじゃなく、人生全体のことを考えたとき、一緒に歩いてくれるパートナーがいたら、どれほど心強いか。

一人で頑張るのに疲れてしまったら、協力し合えるパートナーを探すという手もあります

特に、「疲れやすい」「体力に自信がない」「自分のペースを大切にしたい」という方には、自分の事情をきちんと理解してくれるパートナー探しができる環境が大切です。

結婚相談所は、真剣にパートナーを探す人が集まる場所です。共通の価値観を持つ人と出会える可能性が、マッチングアプリより高いと言われています。

あなたの生き方を尊重してくれるパートナーと出会うために、一歩踏み出してみることも、「自分らしく生きていく」選択のひとつだと思います。

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まとめ

  • 「やればできる」と怒る上司は、才能の限界を知らない可能性がある
  • 能力には生まれつきの個人差があり、努力だけでは超えられない部分がある
  • 仕事の振り方・人材配置・上司の適性・給与水準——問題は経営側にあることも多い
  • 弱さは恥ずかしくない。バットを振らないことが恥ずかしい
  • 他人の評価ではなく、最善を尽くしたことで自分を好きになる
  • 謝ることと落ち込むことは違う。全力を尽くしたなら、堂々としていればいい
  • 限界を知ったら工夫に熱意を使う

疲れやすくても、自分らしく生きていける。そのための選択肢は、思っているよりずっとたくさんあります。


このブログでは、疲れやすい体質を持ちながら自分らしく働き・生きていくためのヒントを発信しています。他の記事もぜひ読んでみてください。

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