商売に詳しい大人の魅力と、商売を気にしない大人の魅力

学ぶ

大人になってから、人の素敵さには二つの系統があると気づきました。

一つは、商売に詳しい大人の素敵さ。もう一つは、商売を気にしない大人の素敵さです。

この二つは、出どころが正反対です。だから同じ人が両方を持っていることは、あまりありません。そして面白いことに、どちらの魅力も、社会にとってなくてはならないものなのです。

商売に詳しい大人は、客として洗練されている

商売をしたことがある人は、値段を見た瞬間に、その裏側が透けて見えます。この価格なら、この人件費、この立地で回しているんだな、と。

だから、安い店に高級店のような接客を求めません。高い店の値段には理由があると分かります。何か不満があっても、「自分はこの店の客層ではなかっただけだ」と正しく診断して、静かに立ち去る。クレームを入れないのは我慢しているからではなく、そもそも不満が発生しないからです。

これは、売る側の痛みを知っている人の、想像力の産物です。自分が働いて、値付けをして、お客さんに選ばれたり選ばれなかったりした経験があるから、お店の人に痛みを与えない振る舞いが自然にできる。学歴やお金持ちかどうかとは、まったく関係がありません。工事現場で働く一人親方のほうが、スーツを着た大企業のエリートより、店員さんにずっと親切だったりするのは、このためです。計算の世界を知り尽くした人の、計算の上に立った思いやり。これが一つ目の魅力です。

商売を気にしない大人は、お金にならない親切ができる

一方で、商売の効率だけを考えるなら、お金を持っている人をお客さんにするのが正解です。同じ労力なら、支払える人に売るほうが儲かる。これは商売の動かせない現実です。

でも、その現実を「辛いことだね」と感じる感性の人たちがいます。

そういう人が向いているのが、公務員、医療、教育、子育て、介護といった仕事です。生活保護の窓口も、児童相談所も、特別支援の教室も、商売として見たら成立しない場所です。助けてもメリットのない子ども、若者、老人、障害のある人。そこに同じ態度で親切にできるのは、採算を計算する回路が、そもそも起動しない人たちです。

これは計算の外で生きる人の、計算を知らない思いやりです。商売に詳しい人の親切が「取引のある場所」でしか発動しないのに対して、この人たちの親切は「取引が成立しない場所」をカバーします。どちらか片方しかない社会には、必ずどこかに冷たい死角ができるのです。

私を救ってくれたのは、商売の外にいる先生だった

私にも、忘れられない経験があります。

昔、あるスクールで創作を教わっていました。一つの区切りとなる結果が出たとき、先生はこう言ったのです。「続きは、ちゃんと食べていけるようになってからにしなさい。10年に1つでもいい。これだけでは食べていけないよ」と。

生徒を引き留めるのではなく、送り出してくれた。後になって気づいたのですが、あの先生は雇われの講師で、経営者ではありませんでした。生徒が一人やめても、収入は減らない。だからこそ、スクールの売上ではなく、私の人生のための助言ができたのです。

もし利益最優先の立場だったら、ああは言えなかったと思います。月謝で成り立つ教室は、生徒が長く通うほど儲かるので、「そろそろ区切りを」とは構造的に言いにくい。商売の外に立っている人だけが、商売に反する親切を口にできるのです。

教育や医療や公共サービスを、利益最優先にしない仕組みには、意味があります。あの仕組みが、ああいう先生を生むのです。

学校がお金を教えないことの、功と罪

ここで、少し大きな話をします。

日本の学校は、お金や商売のことをほとんど教えません。だから、よほど自分から学ぶか、商売をする家に育つかしないと、大人になってもお金や商売の仕組みが分からないままです。その結果、お金に困る人生になってしまう人も、確実にいます。これは罪の部分です。

でも、功の部分もあるのではないかと、私は思っています。

学生時代に全員が損得の計算を叩き込まれた社会を、想像してみてください。あらゆる人間関係が採算で査定され、助けてもメリットのない相手への親切は「非効率」として削られていく。海外には、もっと露骨にそうした空気のある社会もあると聞きます。

日本が、弱い立場の人にもそれなりに優しい社会でいられるのは、「商売を気にしない大人」が大量にいるからで、それは学校が商売を教えなかったことの、意図せざる産物なのかもしれません。お金の教育の遅れは、たしかに個人を貧しくすることがあります。でも同じものが、社会の優しさの供給源にもなっている。単純に「金融教育を進めるべき」とだけ言って済む話ではないと思うのです。

どちらの大人になるかは、選んでいい

私は、商売を学ぶことを勧めてきました。商売の感覚は、客としての品性を磨き、情報の受け取り方を鍛え、人生の判断を確かにしてくれるからです。

でも、商売に詳しくなるだけが大人ではありません。

お金にならない相手に、お金にならない親切ができる。効率の悪い場所に、進んで立ち続けられる。それもまた、立派な大人の完成形です。むしろ、商売の論理がどこまでも染み込んでいく時代には、計算の外で生きる人の価値は、上がり続けていくと思います。

商売に詳しい大人は、市場を良い場所にします。商売を気にしない大人は、市場の外を守ります。あなたがどちらの素敵さに向かうかは、あなたの感性が決めることです。ただ、どちらを選んだとしても、もう一方の大人への敬意だけは、持っていたいものだと思います。

社会は、その両方でできているのですから。

こちらの記事もおすすめです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました